東京大学大学院人文社会系研究科・文学部と新宮市の主催による「東大人文・若手国際フォーラム」が22日、新宮市役所別館とオンラインであった。土肥秀行教授による基調講演「大逆事件とピノキオ」などが行われた。実会場では約50人が参加。「反逆の地」新宮に住む西村伊作の長女アヤが10歳の頃、日本で初めて翻訳したピノキオについて知見を深めた。
ピノキオの原作者はイタリアの作家カルロ・コッローディ(1826~90年)。世界中で知られる内容はディズニーのアニメ映画(1940年)によるところが大きいが、原作に比べ改変されている。アヤの翻訳はディズニーの製作以前で、1920(大正9)年に出版された。
土肥教授はピノキオについて「イタリアでは子ども向けではなく万人向け。日本ではアナーキスト(無政府主義者)に読まれていた。それがピノキオの本質」と解説。アヤの翻訳版はうそをつくと鼻が伸びるシーンがないことについて「おそらく必要ないと思ったのだろう。実は重要ではない。新解釈をした彼女なりのピノキオで、物語の本質をつかんでいる」と述べた。
ピノキオ誕生の背景として、原作者は義勇兵としてイタリア独立戦争を2度戦ったことを紹介。「オーストリア支配への反逆心があり、その経験が重要。イタリア統一後に生まれた」と明かした。統一後のイタリアを「アナーキスト、王殺しの国」と表現。アナーキストによる王や王妃の暗殺があったことを伝えた。
当時の新宮の土地柄を「時代に敏感だが、中央になびかない。ピノキオの日本語翻訳版はその新宮で初めて生まれた。この土地ならでは」と話した。
ピノキオを伊作に貸したのは佐藤春夫だったことにも言及。「伊作がなぜ気に入ったか。大逆事件で犠牲となった、叔父の大石誠之助の存在があったからでは。(紀州グループへの連座の)くびきから逃れ、どう生きるか模索していた時に出合った作品だったから重要だったのでは」と推察した。
同じく連座から免れ、苦悩しながら執筆活動をしていた沖野岩三郎をアヤが慕っていたことも、ピノキオ翻訳出版の理由の一つとした。
(2026年2月25日付紙面より)