新宮市教育委員会が行う「新宮市健人大学」の7月講座として、佐藤春夫記念館の辻本雄一前館長による講演「佐藤春夫と『大逆事件』」が6日、新宮市役所別館であった。58人が参加、大逆事件が春夫に与えた影響を、さまざまな資料から探った。
大逆事件が起きた際に春夫は18歳で、連座した大石誠之助は父の医師仲間だったことを紹介。「知り合いのおじさんぐらいの感覚で、逮捕され死刑は衝撃であっただろう。それを詩にしたのが『愚者の死』で、明治44年に18歳で書いた」と話した。
同じ年に春夫が書いた詩「街上夜曲」には、大逆事件を意識した「十二人とも殺されたね」の記述があることを提示。「愚者の死は反語的要素は含まれていないという説もあるが、街上夜曲もあることから込めていると思う」と持論を展開した。春夫はこの頃、社会主義などの思想的傾向を反映した「傾向詩」を多く残していることを付け加えた。
戦後に書いた春夫の小説「わんぱく時代」には「何が大逆か」の章があることも解説。「(登場人物が)大逆事件の犠牲になったように書かれている」と語った。春夫は後にこの人物を「僕が愛し育ててきた象徴的人物」と表現していることも明かした。「熊野の風景を描いただけでなく、大逆事件をかなり意識した作品だった」と結論付けた。
これらを下敷きに「愚者の死」へと戻り「何回も『殺されたり』とある。誰に? 国家や政府を連想させる」と指摘。「日本人ならざるもの」の一節から「じゃあ何人か? 日本人が臣民になり、個人が抑圧されてきていた。個人の大切さを、(文学などを通して)西洋から学んでいく中で大逆事件に遭い、感じた不合理や不条理や理不尽を『愚者の死』に託したはず」と力を込めた。
新宮市健人大学は、市内在住の60歳以上を対象に生涯学習の場を設けることで、さまざまな見識を深めてもらうことを目的とした講座。本年度は5回程度を予定しており、今回が2回目となる。
(2026年7月12日付紙面より)