害虫駆除や五穀豊穣(ほうじょう)を願う伝統の
火祭り「佐野柱松」が16日夜、新宮市の新宮港緑地公園で営まれ、約3000人(主催者発表)が訪れた。夏の夜空を焦がす炎が立ち上り、参加者は高さ約17㍍の御柱(おんばしら)上部に設けられた籠へ火の付いたたいまつを投げ入れる勇壮な儀式を楽しんだ。
柱松は1959年ごろに途絶えたが、地元有志でつくる「佐野柱松実行委員会」によって93年に復活。以来、多くの観客を集める夏の風物詩となり、かつては「熊野の花火か佐野の柱松」と並び称された。
開会に当たり、実行委員会の瀨古尊夫会長、上田勝之市長、佐野区の池ノ本要一副区長があいさつ。火興しの儀式で幕を開け、サニーサイド・ジャズ・オーケストラや創作太鼓「紀宝楽」の演奏、くろしお児童館の子どもたちによる創作踊り、追善花火など多彩な催しが続いた。同市三輪崎出身の小阪芳史さんは氷の彫刻「アイスカービング」を披露し、来場者を魅了した。
子どもたちも勇ましくたいまつを投げ入れ、観客から大きな拍手が送られた。籠にたいまつを入れた松平朔さん(
三輪崎小5)は米30㌔を受け取り「入った時はうれしかった。今日は友達と一緒に来た。来年も参加したい」と笑顔を見せた。
佐野木遣(きや)り節に合わせて、御柱が立ち上がり、クライマックスのたいまつ投げには89人が申し込み、抽選で30人が選ばれた。花火の合図で参加者は炎を勢いよく回しながら御柱に挑んだ。3分ほどで籠に命中し、会場からは歓声と拍手が湧き起こった。
命中させた同市木ノ川の南川慎二さん(52)は「2年前も籠に入った。ちょっと早かったけど、入った瞬間はガッツポーズした。次回は連覇を目指したい」と話し、副賞の米60㌔が手渡された。
会場には地元の店が屋台を構え、焼きそばやかき氷などを求める長い列ができるなど、
夏祭りならではのにぎわいを見せた。
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■元に戻すまでが柱松
佐野柱松翌日の17日、午前6時に集合した会員たちは会場の後片付けを行った。半日をかけて足場の撤去や掘った穴の埋め戻しなどに汗を流した。
瀨古会長は「足元の悪い中、大勢の方にお越しいただき感謝している。会場をきれいに戻してお返しするまでが柱松。最後まで協力してくれた会員の皆さんにも感謝しています」と話した。
(2026年8月18日付紙面より)