那智勝浦町の補陀洛山寺(髙木智英住職)で8日、天台宗、真言宗合同での「歴代補陀落渡海上人追善供養合同法要」が営まれた。同寺では初となる宗派を超えた法要で、真言宗奈良密教青年会(田中全義会長)の僧侶約20人と、熊野修験の山伏ら10人が参加。通常非公開の歴代補陀落渡海上人の位牌の前で合掌し、霊を慰めた。
今回の法要は青年会が毎年行う研修会で「補陀落渡海」をテーマに、講師に国際熊野学会の山本殖生代表を招いて補陀落渡海と真言宗の僧侶「日秀上人」について学んだのがきっかけ。
日秀上人と補陀落渡海、熊野信仰の関係に興味を抱いた青年会は、山本代表を通じて髙木住職と連絡を取り合い、偉大な先人への学びを深め、渡海上人たちの霊を慰めるべく、今回の法要を打診、髙木住職が快諾した。
補陀落渡海は、平安時代から江戸時代まで行われた宗教儀礼で、観音浄土「補陀落山」に往生しようと行者「渡海上人」が小舟に乗って渡海した。
記録に残っているだけで20人以上が渡海したが、日秀上人は1500年代前半、この行に臨み、琉球諸島(現在の沖縄県)に漂着した。
現地で布教活動を行い、那覇では波上権現護国寺を再興、琉球の真言宗総本山とし、熊野三所権現の本地仏、阿弥陀、薬師、観音の三尊を彫刻し安置したという。
護国寺と同時期に創建されたといわれる琉球八社(琉球王国において王府から特別の扱いを受けた八つの神社)、「波上宮」は熊野信仰の系列にも連なっている。
法要では熊野修験の山伏らが吹くほら貝に導かれ、真言の僧侶らが本堂に入場。開帳された本尊「三貌十一面千手千眼観世音菩薩」と歴代の渡海上人たちの位牌4柱を前に、僧侶たちが読経し、最後は山伏たちと共に般若心経を唱え、信仰に殉じた先人たちに祈りをささげた。
田中会長は「真言宗の僧侶が天台宗の寺院で、熊野修験の山伏と共に宗派を超えた法要が営めたことに感謝を申し上げたい。この法要を終着点とせず、真言宗と天台宗の絆として深めていきたい」とあいさつ。
髙木住職も「青年会の皆さんは勉強熱心で、奈良だけではなく、全国さまざまな所から集まってくださっている。今回の法要のお話も気持ちよく受けさせていただいたが、実に画期的な出来事だと思う」と述べた。
法要の後、青年会の僧侶たちは本堂で「那智参詣曼荼羅」の絵解きや、境内の渡海船の復元模型の前で解説を受けた。髙木住職と山伏らと寺の裏山にも上り、渡海上人の供養塔と歴代住職の墓前での追善供養、熊野那智大社や青岸渡寺も訪問するなど、精力的に活動していた。
(2026年9月10日付紙面より)