1939、40年の夏、全国中等学校優勝野球大会で連覇を達成した海草中学校(現・和歌山県立向陽高校)のエースだった嶋清一さんと、中堅手だった古角俊郎さんをしのぶ新宮高校と向陽高校の交流戦が11日、新宮高校グラウンドで行われた。24歳で戦死した大投手嶋さんと、新宮高校を戦後6度甲子園に導いた名監督古角さんの栄誉をたたえ、平和をかみしめながら白球を追い、躍動した。
両校の定期交流戦「嶋・古角杯」は戦後70年の2015年に初開催、コロナ渦などによる中止を除いて、毎年8月11日に行っており、今年で10回を数えた。
伝説の左腕、嶋さんは春2回、夏4回甲子園大会に出場。1939年の第25回全国中等学校優勝野球大会では準決勝、決勝で2試合連続ノーヒットノーランを達成した。将来を嘱望されたが、45年3月インドシナ半島沖で戦死した。
古角さんは那智勝浦町出身。海草中時代、嶋さんらと共に全国制覇を達成。48年に新宮高校野球部監督に就任し、わずか2年2カ月で初めて全国大会に出場。以来8年で6度の甲子園出場。指導者としてはプロ野球で活躍した前岡勤也さんを育てた。
交流戦では偉大な先輩2人に黙とうをささげた。開会式で新宮高校硬式野球部OB会の井上信也会長が、創部100周年の年に、10回目の節目を迎えた交流戦を地元で開催できることに感謝し「大会を通じて両校とその野球部、OBの交流が盛んになりました。今後もますますお互いを意識し、応援しながら、選手諸君の健闘を祈っていきたい」とあいさつ。新宮高校の下村史郎校長がマウンドに上がり、始球式をした。
試合は先攻の新宮が2点を先制、その裏に向陽も2点を返して同点。新宮は四回に適時二塁打で2点、五回にも1点を追加して向陽を突き放した。5―3で新宮が勝利し、大会通算成績は両校ともに5勝5敗となった。
試合後、新宮の松本梨生主将(2年)は「最後で疲れが出て、危ない場面もあった。それでも勝ち切れたのは良かったと思う。終戦の日を前に行う重みを感じながら、今後もこの大会を後輩たちにつなぎ、続けていきたい」、向陽の秦野了輔主将(2年)は「リードされたまま負けるのは先輩方に申し訳ないし、しっかり粘って逆転しようと思っていたが、課題の残る試合になった。球史に残る名選手と同じ学校で野球をやっていることに誇りを持ちつつ、戦争の悲惨さを野球からもアピールをしていきたい」と話した。
(2026年8月14日付紙面より)
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