日本ヤタガラス協会(山本殖生会長)は18日、那智勝浦町役場大会議室で講演会「ヤタガラスと中村覚之助をさぐる」を開催した。
日本ヤタガラス協会総会終了後に開かれ、約30人が参加。第1部は、同協会会長で国際熊野学会代表委員の山本さんが「八咫烏(やたがらす)のルーツを探る」と題して講演した。日本神話において、神武東征の際に熊野に上陸した神武天皇の下に遣わされ、大和国への進軍を導いたとされる熊野の神々の遣い「八咫烏」についてスライドを用いて解説した。
山本さんは「八咫烏は太陽信仰の象徴である三本足を持っており、『神の遣い』『導きの鳥』と古くから伝承されてきた」と説明。「熊野という地域の特異性が八咫烏の宗教環境の土壌をつくった」と話し、熊野という超自然的な存在と八咫烏が相互に影響し合っている可能性について言及した。
第2部はサッカーワールドカップに関連して、日本ヤタガラス協会副会長で特定非営利法人サロン2002理事長の中塚義実さんが講演した。
「日本サッカーのはじまりと中村覚之助(第4報)―FIFAワールドカップ2026をめぐって」をテーマにワールドカップの歴史について説明した。
那智勝浦町出身で、サッカーの普及発展の礎を築いた中村覚之助の功績も説明。覚之助は1903年、日本で初めてサッカーの本を編集・著者・出版し、翌年には日本初のサッカーの対外試合を企画するなど幅広く活躍した。
その後、優秀な選手が選抜された日本代表選手らが国際大会で成績を残していった。
中塚さんは「日本サッカー協会はサッカーを広めた中村が熊野出身であることにちなんで『三本足の八咫烏』をシンボルマークとして選びました」と説明した。
覚之助は、93年のJリーグ発足から現在のサッカー日本代表の活躍に至るまでのムーブメントをつくった陰の立役者と紹介した。2021年9月に那智勝浦町栄誉町民として顕彰されており、JR那智駅前の顕彰碑や同町体育文化会館ロビー内の展示でその功績を記している。
(2026年7月23日付紙面より)